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人間の出会いに感謝!その2




日本は大雨で各地被害が出ているので、ブログのお友達が心配ですが、いかがお過ごしでしょうか?
日本に帰ってきてまだ青空を見ていないような気がします。一方ヨーロッパは猛暑だそうで、やはり世界の気候が狂っているのでしょうか? 本当に心配になります。
さて前回お話しした、ロベルトシューマン、没後150年ということで、きっといろいろなところで話題に上っていると思いますが、彼のことを話すにいたって忘れてはいけないのが、奥さんのクララのことです。
この二人大恋愛の末、結婚するんですけど、その裏にはすごい話があるんです。彼女の父親はその頃有名のピアノ教師であった、フリードリヒ・ヴィークという人で、彼は自分の娘クララを天才ピアニストに仕上げていきます。一方 父親をはやくなくした、作曲家、ロベルトシューマンは、安定した生活を願った母親の言いつけで、法学を学んでいたのですが、音楽への夢が捨てれず、そのピアノ教師、フリードリヒ・ヴィークのもとに弟子入りし、ピアノの練習に励むことになります。そこでもう皆様もお解りのように、クララとロベルトが運命の出会いがある訳です。ロベルト20歳、クララ11歳でした。ってそんな11歳でもう恋愛????現代よりズートおませさんだったってことですね。そしてなんとそれから4年後、1834年に二人は、勝手に婚約をしてしまいます。そこでおこったのがお父さん!手塩にかけて、天才ピアニストに育てたと思ったら、ロベルトのとられてしますのです。せっかくこれからというときです。もしかしたら彼の念頭には、モーツアルトの親子のこともあったかもしれませんね。子供クララを神童にとしてヨーロッパ各地を演奏旅行させれば、名実共に父親フリードリヒ・ヴィークは世界に名をのこすことになるわけです。彼はこの二人の結婚を阻止するために、猛反対をするんです。どうしても認めてもらえない、ロベルトとクララ、そこで二人はやむおえず、このクララの父親を訴えます。裁判の末ようやく訴えが認められ、この二人が結婚できたのは、5年後、1839年のことでした。ロベルト、29歳。くらら20歳(それでも彼女はかなり若い!)
そのちょうど裁判のまっただ中、1833年にヨハネス ブラームスがハンブルグで生まれます。
そして、ブラームが生まれた20年後にこの3人の運命の出会いがあります。
1853年ブラームスは、シューマン家を訪れて、自分の作品をロベルトに、紹介します。
ロベルトは興奮します。彼はその若きブラームスの才能を絶賛します。もちろんブラームスより14歳年上のクララもその才能を認め、そこから、深い深いこの3人の友情が芽生えていくのです。
しかしその何年か前より、ロベルトは自分の精神の異常に苦しみ始めます。それを克服するために、バッハの研究に没頭しますが、其のかいもなく、ブラームスに出会った次の年、ライン川に投身自殺をはかります。そして其の後、精神病院に入ります。ブラーマスは、本当にけなげに、クララを助けます。ロベルトとクララの子供たちの面倒を見、クララとロベルトの家を守り、ブラームスはもう家族同然となります。しかし、ブラームスの心配を届かず、ロベルトは回復しないまま1856年、今からちょうど150年前の一週間後、7月29日に亡くなります。
今現在、この3人の手紙が残っています。しかし、ブラームスとクララの間でかわされた、手紙は全部残っているわけではなく、一説によると、多くが二人の手で、焼かれてしまったそうです。だから、この世にはクララとブラームスの音楽に関する手紙は残っているのですが、恋愛関係を立証するものは残っていません。二人の手で焼かれしまったことが事実だとすれば、恋愛関係だっただろうと想像していしまいまよね。でもこんな素敵な、手紙が残っているんです、これはブラームから、クララに書いたもので、もので、晩年の作品であるニ短調(1888年)のヴァイオリンソナタを書き上げた後のものです。
『私の二単調のソナタがあなたの指のもとで優しく夢見るように進行して行くのを想像するのはすばらしい事です。私は実際にそれを机の上におきあなたと一緒に静かにゆっくり保続音の茂みをとうって進んで行きました。私にとってあなたのかたわらにいる事が最高の喜びなのです。』
クララがモーツアルトのコンチェルトのカデンツ(クララが自分で作ったもの)を世の中に発表するときに、『このカデンツはあなたの影響を強く受けているので、私のものというよりあなたの作品と発表しないと嘘になります』とブラームスにいうと、ブラームスは『私のすべての作品の最良の旋律に『クララシューマンのよる』と銘記しなくてはならないほど、この才気ある美しいものはあなた無しでは私から生まれる事は無かったのです。
あなたが私から得られた何よりも、私がより多くのすてきな旋律を、作り出せた事をあなたに感謝しま
す。』
(学説的にいうと、このクララの旋律というのは、ロベルトが発表した、具体的に、クララへの愛情を示す旋律でロベルトの作品に多く使われています。もちろんブラームスはこの旋律のことも言っていると思いますが、それだけではなさそうです。。。)

この二人の男性に強烈な影響を与えた、クララ シューマンは1896年 77歳でこの世を去ります。そしてブラームスは一年後、まるでクララの後をおうように、1897年 64歳でこの世を去ります。

またもやこの3人の素敵な出会いに感謝です。

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プロフィール

Ayako Oshima

Author:Ayako Oshima
NY在住のクラリネット奏者,大島文子です。音楽の事,クラリネットの事、主人チャールーズ ナイディックの事をNYから発信して行きたいと思います。

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